最近、承認欲求が人生に占める割合、高くなってない?

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なんとなく、こう感じる瞬間が増えた。

何かやる前に、「どう見られるか」を先に考えている。
評価されない時間が、やたら落ち着かない。
うまくいったことより、反応がなかったことのほうが記憶に残る。

昔も承認欲求はあった。
でも最近は、生活の中心に近づいてきている感覚がある。

気のせいだろうか。
たぶん、気のせいじゃない。


承認欲求が増えた、というより「前に出てきた」

よくある説明はこうだ。

SNSがあるから。
比較されやすい時代だから。
評価が可視化されたから。

もちろん、全部合っている。
でも、それだけじゃ足りない。

一番大きいのは、
承認欲求が「裏テーマ」から「表テーマ」になったことだと思う。

昔の承認欲求は、もう少し奥にあった。

ちゃんとやってると思われたい。
無能だと思われたくない。
空気を壊したくない。

それは表向き、
「仕事」「努力」「常識」の顔をしていた。

今は違う。

承認欲求が、
そのままの姿で前に立っている。

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もはや、隠れる気がない。


承認欲求が“重く”なった理由

ここが一番のポイントだ。

承認欲求そのものが強くなったというより、
承認されていない時間に耐えにくくなった。

これが、今のしんどさの正体だと思う。

反応がない=否定された気がする。
評価が来ない=存在してない気がする。
誰にも見られていない時間=無意味に感じる。

承認が「ご褒美」だった時代から、
承認が「酸素」みたいな扱いになっている。

ないと苦しい。
あると落ち着く。
切れると不安になる。

そりゃ疲れる。


酸素になった理由は、承認が「存在確認」に変わったから

なぜ、ここまで重くなったのか。

それは、
承認が「評価」ではなく、
「存在確認」に変わったからだ。

昔は、

「頑張ったね」
「よくやったね」

が承認だった。

今は違う。

「見られているか」
「反応があるか」

それ自体が承認になっている。

だから、評価がゼロだと不安になる。
否定されたからじゃない。
存在していない気がするからだ。

これは、精神論ではない。
仕組みの話だ。


承認欲求は、悪者ではない

ここ、勘違いされがちだけど大事なところ。

承認欲求そのものは、
めちゃくちゃ健全な欲求だ。

社会で生きるため。
人と関わるため。
自分の位置を確認するため。

誰かの目を通して自分を知る。
これは人間の基本設計だ。

問題は、
承認欲求が人生のハンドルを握り始めた瞬間

評価されそうなことだけ選ぶ。
反応が薄いことを避ける。
好きかどうかより、ウケるかどうか。

こうなると、
人生の選択基準が静かにズレ始める。


承認欲求が主役になる、本当の瞬間

承認欲求が主役になるのは、
「認められたい」と思ったときじゃない。

「評価されない可能性」を、
選択肢から消し始めたとき
だ。

やりたいかどうか。
納得できるかどうか。

より先に、

失敗しないか。
恥をかかないか。
反応がもらえるか。

で人生を選び始める。

この時点で、
人生は静かに安全運転モードに入る。

事故らない代わりに、
どこにも辿り着かない運転だ。


承認欲求が主役になると、地味に削られるもの

承認欲求中心の生活は、
派手に壊れない。

その代わり、静かに消耗する。

判断が遅くなる。
失敗が怖くなる。
自分の感覚を信用しなくなる。

そして一番厄介なのは、
「ちゃんと生きてる感じ」が薄くなること。

評価はある。
反応もある。
でも、手応えがない。

理由は単純で、
他人の目を借りて生きているからだ。


ここで一度、見方を変える

承認欲求をなくそうとすると、だいたい失敗する。
そんなに都合よく消えない。

だからやることは一つだけ。

承認欲求を“脇役”に戻す。

ただし、ここには落とし穴がある。

承認欲求を脇役に戻そうとすると、
一瞬、人生がスカスカに見える。

評価を気にしない。
反応も追わない。
ウケも考えない。

そうすると、

「じゃあ、何を基準に生きればいい?」

という空白が出てくる。

多くの人は、ここで怖くなって引き返す。
承認欲求は重い。
でも、空白よりはマシだからだ。


主役は、これくらいでいい

主役は、これでいい。

自分が納得できるか。
面白いと思えるか。
今日一日が、少しマシになるか。

承認は、その結果ついてくる反応であって、
判断基準じゃない。

順番を戻すだけだ。


結局、承認欲求はどう扱えばいいのか

たぶん正解は、これくらい雑でいい。

承認欲求があるのは普通。
気にする日があってもいい。
ただし、人生の決定権は渡さない。

承認欲求は、
「参考意見」くらいの立場がちょうどいい。

無視もしない。
従いすぎもしない。


まとめ

最近、承認欲求が人生に占める割合が高くなった気がする。
それはたぶん、

承認が可視化され、
常時接続され、
ない時間に耐えにくくなった、

からだ。

承認欲求があるのは弱さじゃない。
承認欲求に運転させると、疲れるだけだ。

承認欲求は敵ではない。
ただ、人生の代役を任せるには重すぎる。

ハンドルを握り直す。
それだけで、だいぶ楽になる。

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