なぜ人は、炎上を見ると急に“思考が変化する”のか

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炎上が起きると、普段は冷静そうな人まで、驚くほど単純な言葉を使い始める。
「それはアウト」「終わってる」「人として無理」。文脈は剥がれ、背景は消え、善悪だけが残る。
まるで賢さが一段階落ちたように見える。

だが、これは「人が愚かになった」話ではない。
むしろ逆で、脳が賢く振る舞うのをやめるだけの理由が、炎上には揃いすぎている。


炎上は“情報”ではなく“警報”である

炎上は情報ではなく、警報に近い。
火災報知器が鳴っている最中に、建築基準法の解釈で議論を始める人はいない。まず逃げる。まず叫ぶ。まず周囲を見る。
炎上も同じで、「今は考える局面ではない」と脳が判断して、処理系を切り替える。

ここで起きているのは、思考の停止ではない。
思考の格下げである。
「丁寧に考える」より先に、「どっち側にいるべきか」を決めるモードに入る。


炎上は“沈黙”を許さない

炎上が立ち上がる瞬間、人は黙っていられなくなる。
なぜなら、黙ることが弱いからだ。

現代の炎上空間では、沈黙は中立ではなく、不在扱いになりやすい。存在しない者は守られない。だから人は完全に理解していなくても、“側”に立つ。

ここで求められているのは、正しい推論ではない。
間違った側に立たないことである。


賢い人ほど、割に合わない勝負を避ける

だから炎上中の言葉は短くなる。
長い文は、読む側の体力を要求する。
慎重な言い回しは、結論を遅らせる。
「状況による」「ケースバイケース」は賢いが、炎上では敗北宣言に近い。

炎上の場は、慎重さをコスト化する市場である。
丁寧に書くほど不利になる。
ニュアンスを足すほど誤読されやすくなる。
反論するほど燃料になる。

つまり、賢い人ほど分かっている。
この市場では、賢さは割に合わない。
そして賢い人ほど、割に合わない勝負を避ける。

その結果として起きる現象がある。
賢い人がいなくなるのではない。
賢いふるまいが表に出なくなる。
残るのは、短く、強く、断言する言葉だけになる。

「みんな馬鹿になった」のではなく、
馬鹿っぽい言葉が勝つ設計になっているだけである。


断言は“気持ちいい”──炎上が与える報酬

さらに厄介なのは、炎上が“賢くなくなること”に報酬を与える点だ。
断言は気持ちいい。断罪は気持ちいい。
「自分は正しい側にいる」という感覚は、即効性がある。

いいねや賛同は、社会的報酬として速い。
反対に、慎重さは遅い。時間がかかる。盛り上がらない。

だから炎上では、内容より態度が勝つ。
正確さより勢いが勝つ。
議論より儀式が勝つ。


叩きの多くは、正義ではなく“自己治療”である

もう一段、嫌な話をする。
叩きの多くは、正義ではなく自己治療である。

炎上が与えるのは、敵を倒す快感だけではない。
不確実な世界に、簡単な形を与えてくれる。
「悪い奴がいる」「ルールがある」「裁けば整う」。
これは不安に効く。鎮痛剤として優秀すぎる。

だから理屈で止まらない。
止めようとする者は、正しさを語る人ではなく、治療を奪う人に見える。
議論しているつもりで、実は安心を取り合っている。ここが炎上の深部である。


炎上は害悪だけではない──“社会の免疫反応”という側面

一方で、炎上を完全な害悪として片づけるのも浅い。
炎上には、社会の免疫反応のような側面もある。

「それはやるな」「そこは越えるな」という境界線を、低コストで共有する。
社会が自分のルールを更新するときの痙攣、と言ってもいい。

もちろん免疫反応は過剰に出る。アレルギーだって起きる。
しかし免疫をゼロにした社会は、別の病気を抱える。

だから炎上は消えない。
消えないようにできている。


まとめ:愚かさが得をする場が、一時的に出現する

炎上は、所属を決めさせ、不安を治療し、慎重さを罰し、断言を報酬化する。
その条件下で賢さは燃費が悪い。だから賢さは引っ込む。

結局、炎上で人が賢くなくなる理由はこうである。
人が愚かだからではない。
愚かさが得をする場が、一時的に出現するからである。

もし炎上を見て「みんな頭が悪くなっている」と感じたなら、あなたは外側に立てている。
賢く見える必要はない。
ただ、思考を急がないこと。
その一点だけで、炎上の“警報”に飲み込まれずに済む。

炎上は人間の欠陥というより、人間の仕様である。
仕様に腹を立てても直らない。
仕様だと分かれば、距離が取れる。
そして距離が取れたときにだけ、炎上は「他人の事件」ではなく、「自分も内蔵している反応」として見えてくる。

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