人生は未来へ進むものだ、と人は言う。
就職して、結婚して、家を買って、昇進して、老後に備える。立派である。
だが実態は違う。
人は未来へ進んでいるように見えて、実はずっと――
未来を“思い出”に変える準備をしている。
未来は、いずれ必ず過去になる。
そして過去になった瞬間から、人間は本気を出す。
過去は固定ではない。編集される。
過去は「事実」だと思われがちである。
起きたことは起きたこと。変えられない。正しい。
だが、人間が生きているのは“事実の過去”ではない。
人間が生きているのは、編集された過去である。
同じ出来事でも、編集次第で意味が変わる。
- うまくいった日 → 昔の苦労が「伏線」に見える
- しんどい日 → 昔の失敗が「呪い」に見える
- 自信がある日 → 黒歴史が「笑い話」に昇格する
- 自信がない日 → 小さなミスが「人生の敗北」に昇格する
出来事は同じ。意味だけが変わる。
人間は、都合と体調で過去を更新し続ける生き物である。
それはもう、メモリーという名の編集アプリに毎日ログインしているようなものだ。
なぜ人は、先延ばしし、後悔し、盛るのか
ここで急に、先延ばし・後悔・承認欲求の話をする。
関係ないようで、全部つながっている。
先延ばし
先延ばしは怠けに見える。もちろん怠けの回もある。
だが本質はもっと湿っぽい。
人は、行動そのものを怖がっているのではない。
行動した結果が“思い出”になることを怖がっている。
やり始めた瞬間、失敗する可能性が生まれる。
失敗したら、それは未来のある日「過去」になる。
そして過去になったそれは、編集されて
「ほら見ろ、やっぱり自分はダメ」みたいな物語にされるかもしれない。
だから着手しない。
未来の自分に渡す“思い出素材”として、傷がついたものを渡したくない。
人間はそこまで考えていないようで、けっこう考えている。性格が悪い。
後悔
後悔は、出来事の強さではなく、編集の癖で増える。
同じ失敗でも、
「勉強になった」で終わる日もあれば、
「人生終わった」まで膨らむ日もある。
つまり後悔とは、過去の出来事そのものではない。
過去の編集で“罰金”を追加してしまう現象である。
しかも利子つきである。恐ろしい。
承認欲求
承認欲求は「今、褒めてほしい」ではない。もっと根深い。
あれは未来の自分に向けた素材集めである。
人がSNSに載せるのは、現在の自分ではない。
未来の自分が、過去を語るときに使える証拠写真である。
「充実してた」「頑張ってた」「愛されてた」
そう言うための“思い出の証拠”を、今のうちに撮りためる。
つまり承認欲求は、現在の評価欲ではなく、
未来の回想に耐える過去を用意したい欲なのである。
人間は思い出のために盛る。ややこしい。
未来が怖いのではない。未来が過去になるのが怖い。
先延ばしも、後悔も、承認欲求も、全部ここに集約する。
未来が怖いのではない。
未来が過去になったとき、どう見えるかが怖いのである。
- 失敗した過去になりたくない
- ダサい過去になりたくない
- 無駄な過去になりたくない
- 誰にも語れない過去になりたくない
だから悩む。だから止まる。だから盛る。
人間は未来に進むのが怖いのではない。
未来が“思い出”になった瞬間に、傷が見えるのが怖い。
しかもやっかいなことに、傷は出来事そのものより、
編集で濃くなる。
「ほんとは大した傷じゃなかったのに」
「自分で何回も再生して」
「BGMまでつけて」
「大作にしてしまう」
そういうことが普通に起きる。人間は暇なのか。
最後に
人は未来を作っているようで、実際には思い出を作っている。
そしてその思い出は、事実ではなく編集された物語として残る。
だから今日の選択は重い。
だから悩む。だから逃げる。だから盛る。
そして時々、なぜか一歩進む。
人生とは、未来を“思い出”に変える作業である。

