評価を気にする人は、
評価されたい人だと思われがちだ。
でも実際には、
評価を気にする人ほど、評価されない場所に長く居続ける。
これは矛盾しているようで、
かなり一貫した行動だ。
評価を気にする人は「評価の結果」が怖い
まず前提として。
評価を気にする人は、
評価そのものが好きなわけじゃない。
怖いのは、
評価が確定することだ。
- できるか、できないか
- 上か、下か
- 期待に応えたか、応えられなかったか
この判定が出る瞬間が、
何よりも怖い。
だから評価を避ける。
でも評価されたい気持ちは消えない。
この矛盾が、
行動を歪める。
逃げ先は「頑張っている感」が出る場所
評価を気にする人が好む場所には、
かなり共通点がある。
- 成果が数値化されにくい
- 期限が曖昧
- 努力が評価に直結しない
- 「過程」が重視される
例えば、
- ずっと準備中
- 勉強中
- 情報収集中
- まだタイミングじゃない
ここにいる限り、
評価は宙に浮いたままだ。
まだ本気を出していないだけ
まだ途中なだけ
この言い訳が、
ずっと使える。
評価されない場所は「安全地帯」になる
評価されない場所は、
居心地がいい。
なぜなら、
- 失敗しても評価が下がらない
- 成果が出なくても責められない
- 能力不足が確定しない
つまり、
自分がどの程度の人間か
明らかにならない
評価を気にする人にとって、
これほど安全な場所はない。
本当は「評価されない」こと自体が目的になっている
ここが一番いやらしいところ。
評価を気にする人は、
無意識のうちにこう思っている。
評価されなければ、
失敗したことにもならない
だから、
- 勝負の場に出ない
- 結果が出る直前で引く
- 評価される前に理由を用意する
評価されないことが、
自己防衛として完成している。
だから「頑張ってるのに評価されない人」が生まれる
よく聞く言葉がある。
あんなに頑張っているのに、
なぜか評価されない
でも冷静に見ると、
評価されない形で頑張っていることが多い。
- 成果が見えない努力
- 他人が判断できない場所での努力
- 結果が出る前提を避けた努力
これは不運じゃない。
設計通りだ。
評価を避けると、評価は一生更新されない
評価を気にする人は、
自分の評価が低いのではないかと恐れている。
でも実際には、
評価が低いか高いか、
一度も確定していない。
ずっと仮評価のまま。
だから怖さが消えない。
- 上がる可能性もある
- でも下がる可能性もある
この宙ぶらりんが、
恐怖を長期化させる。
逆説的だけど、抜ける方法は一つしかない
評価を気にする状態から抜ける方法は、
意外とシンプルだ。
一度、評価される場所に出ること。
- 結果が出る
- 良くも悪くも判定が出る
- 言い訳できない形で終わる
ここで初めて分かる。
あ、
思っていたほど致命的じゃないな
評価は痛い。
でも、想像ほど人生は壊れない。
評価されると、人は逆に自由になる
皮肉な話だが、
- 評価されない状態
- 判定が出ていない状態
のほうが、人は縛られる。
評価されると、
- 良いなら伸ばせばいい
- 悪いなら修正すればいい
現実と噛み合う。
評価を気にする人が
評価されない場所に居続ける限り、
恐怖は更新されない。
まとめ
評価を気にする人ほど、
評価されない場所に逃げている。
それは臆病だからではない。
評価が確定するのが怖いからだ。
でも皮肉なことに、
評価を避け続ける限り、
その怖さは一生終わらない。
評価される場所に出るか。
ずっと準備中でいるか。
評価を気にする人にとって、
本当の分かれ道は、
そこにある。
もし続編をやるなら、
かなり相性がいいのはこのあたり。
- 評価されない努力が、なぜ本人を一番苦しめるのか
- 「準備が終わらない人」が無意識に守っているもの
- 評価を避け続けた人が、最後に抱える違和感
続けるなら、どれ行きます?

