「やればできるはず」と「今はダメかも」のあいだで揺れる人たち
繊細な人と話していると、ときどきこんなタイプに出会うことがある。
「本気を出せば、できるはずだ」
というぼんやりした自信と、
「いまの自分は、正直たいしたことがない」
という自己評価の低さが、同じ胸の中に同居している人だ。
もちろん、繊細な人が全員そうというわけではない。
ただ、ものを深く考える人・慎重な人ほど、この矛盾を抱えたまま大人になりやすいように見える。
その「やればできる自分」は、現実と噛み合っていないことも多い。
でもそれは、単なる勘違いとか、性格が悪いとかではなく、
**“繊細さゆえに生まれやすい構造”**でもある。
▽ 1. 「考える量」が多いほど、“頭の中の自分”が強くなりやすい
繊細な人は、行動する前にかなり考える傾向がある。
- やる前に、うまくいくかどうかシミュレーションする
- リスクや失敗パターンを細かく想像する
- もし本気でやったらどうなるか、頭の中で検討する
これは能力としては悪くない。むしろ強みになりうる。
ただ、その裏でこんなことが起きやすい。
「頭の中の“理想の自分”だけが先に育って、
現実の自分はそのまま、という状態」
行動量が少ないと、
**「自分が実際どれくらいできるのか」**というデータがたまらない。
すると、
“やればできるような気がする自分”だけが残りやすくなる。
▽ 2. 失敗を避けるクセが、“限界を知るチャンス”を奪う
繊細な人は、失敗に対して敏感であることが多い。
- 人前で恥をかくのがとても怖い
- ミスして責められる状況を想像してしまう
- 怒られたり強く否定されると、必要以上に傷つく
だから、本能的に 「失敗しそうな場」から距離を取るクセ がつきやすい。
結果として、
- 挑戦の回数が少ない
- 大きくコケる経験も少ない
- 本気を出したときの“限界”を知らない
ということが起きる。
そうなると、
「今はダメだけど、本気を出せばできるはず」
という感覚だけが、
更新されずに残り続ける。
▽ 3. 「優しいね」と言われ続けると、“能力のポテンシャル”まである気がしてくる
繊細な人は、子どもの頃からこう言われることが多い。
- 「優しいね」
- 「気が利くね」
- 「ちゃんとしてるね」
これは嬉しい言葉だし、否定する必要はまったくない。
ただ、ここにはひとつ落とし穴がある。
人格を褒められることと、能力があることは別問題なのに、
長く続くと、頭の中で少し混ざってしまうことがある。
- 優しい ⇒ ちゃんとしている ⇒ 仕事もきっとできるはず
- 気が利く ⇒ 空気が読める ⇒ 本気出したら成果も出せるはず
こんなふうに、
「人として褒められてきた」経験が、「能力もどこかで発揮できるはず」という期待にすり替わるケースがある。
でも現実の社会は、
そこまで親切ではない。
- 優しさは、評価されないことも多い
- 気遣いは、数値になりにくい
- 真面目さだけでは、成果につながらない
このギャップが、「なんか噛み合わない」という感覚を生む。
▽ 4. 自己肯定感が低いのに、“能力への期待”だけ高くなる不思議
繊細な人と話していると、こんな組み合わせが出てくることがある。
- 「自分なんて…」と口では言う
- でもどこかで「このまま終わりたくない」「本当はもっとできるはず」と思っている
一見、矛盾しているようで、実はこういう構造で成り立っている。
・自分にあまり価値がない気がする
・でも「本当に何もない人間」だとは思いたくない
→ だから「まだ本気を出していないだけ」と思っておきたい
これは、
心が自分を守るための防衛反応に近い。
「自分には何もない」と思い切ってしまうと、
精神的にかなりしんどい。
だからこそ、
“やればできるはず”というイメージを最後の砦として残したくなる人もいる。
責めるべき話というより、
「そういう心の動きがあるんだよな」という理解に近い。
▽ 5. 痛いけど大事な現実:「やればできる人」は、だいたいやっている
少し厳しいことを言えば、こういう側面もある。
本当に“やればできる人”は、だいたいもう何かしら始めている。
もちろん、成果が出ているかどうかは別問題だ。
ただ、少なくとも、
- 小さくても行動を続けている
- 失敗と成功を両方味わっている
- 自分の得意・不得意が、少しずつ見えてきている
こういう人は、
「やればできる」ではなく、「やってみてどうだったか」を話す。
一方で、長年「やればできる」と言い続けているだけの状態だと、
残念ながら “まだ何も証明していない仮説”の上に立っている に近い。
このあたりは、
繊細さどうこうではなく、現実として一度は見ておいたほうがいいところである。
▽ 6. それでも、少しだけ救いがあるとしたら
ここまで読むと、
「じゃあ自分は単に“やってないだけの人”ってこと?」
と落ち込む人もいるかもしれない。
そこで一つだけ、救いに近い話をしておきたい。
繊細な人は「能力がない」のではなく、
「能力を測る場に出ていなかっただけ」ということがかなり多い。
- 叩かれるのが怖くて、前に出る回数が少なかった
- 傷つきやすいから、無理をしない道を選んできた
- うまくやろうとして、動けなくなった
これは、弱さというより「生き延びるための戦略」でもある。
だから、
「やればできるはず」という言葉そのものが悪いわけではない。
ただ、現実の自分を見ない言い訳として使い続けると、だんだん苦しくなる。
という感じに捉えたほうがいいかもしれない。
▽ 7. “理想の自分”と“現実の自分”の距離を、少しずつ縮めていく
もしここまで読んで、
「あ、ちょっと自分に当てはまるかも」と感じたなら、
やることはそんなに多くない。
いきなり大きな勝負をしなくていい。
- 小さく試してみる
- ちょっとだけ難しいことを引き受けてみる
- できなかったところも、ちゃんと見てみる
- 「思っていたよりできた」「思ったほどできなかった」を記録しておく
こういう “小さい検証”を積み重ねることで、
頭の中の自分と、現実の自分の差が少しずつ見えてくる。
その差が見えるのは、痛い。
でも、その差が見えないままのほうが、長期的にはしんどい。
▽ まとめ:
「やればできる」は、捨てなくていい。ただ、現実から目をそらすための盾にしないこと。
「やればできる」は、
完全に間違った言葉ではないと思う。
- 可能性を信じるための、一つの支え
- 今の自分だけで自分を判断しないための、仮の足場
みたいな役割もあるからだ。
ただし、
それを“永遠の言い訳”にしてしまうと、
理想の自分と現実の自分の距離は一生埋まらない。
繊細な人は、とかく自分を責めがちだが、
責める代わりに、
「じゃあ、自分の実力をほんの少し確かめてみるか」
くらいの軽さで、一歩だけ前に出てみるといい。
その一歩の積み重ねが、
「やればできるはず」 を
単なる幻想ではなく、
「ここまではできる」「ここから先は苦手」 という
具体的な現実に変えてくれる。
その現実の中で、自分の戦い方を決めていくほうが、
案外、生きやすかったりする。

