突如として現れた概念である『繊細さん』。
これを読んでいる時点で定義の説明は不要だろうが、念のため記載をしておく。
世間でいう『繊細さん』とは簡単に言うと、
刺激に敏感で、ストレスに反応しやすい気質を持つ人 のことだ。
主な特徴としては、
- 人の表情・機嫌を読みすぎる
- 深く考えすぎてしまう
- 気を使いすぎる
- 人間関係に消耗しやすい
などがあり、いわゆる“性格”ではなく、脳の反応傾向(気質) とされている。
そんな『繊細さん』という言葉を広めた先駆けともいえるのが、あまりにも有名な
“「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる 「繊細さん」の本” (著:武田友紀)である。
本書の目的は下記を習得することである。
「繊細でストレスを感じやすい人が、繊細な感性を大事にしたまま、ラクに生きる方法」
(引用:武田友紀『繊細さんの本』飛鳥新社)
本書の流れをざっくり要約すると、
- 生きるの、辛いよね?
- あなた、『繊細さん』です
- 『繊細さん』なんだから疲れるのは仕方ないよ。
- 『繊細さん』として生きていくコツを教えるよ。あなたなりに頑張ればいいよ。
確かに、言っていることは正しいと感じるし、『繊細さん』の心に刺さる部分もあると思う。
そして『繊細さん』という鎧をまとうことにより、多くの人がこの考え方に救われたのも事実だろう。
ただ、ここであえて問題提起をしたい。
あなたは本当に救われましたか?変わりましたか?
私は、この問いに「Yes」と胸を張って言える人の方が少ない気がしている。
以下、その理由を考察する。
このロジックで本当に救われたと思えないのは
『現代の資本主義社会では圧倒的に不利な気質である』
から。
これが本質であり、このような議論であまり触れられない“タブー”ともいえる。
つまり、繊細だからできないことがあるのは確かだが、“繊細だから資本主義で稼げないのも仕方ない”とは絶対に同義ではない。ということ。
資本主義=「”非繊細”力」が高いほど得する世界
残念だが、これが現実だ。
資本主義社会で評価されやすいのは:
- メンタルがブレない
- 空気を読まない
- 他者に鈍感
- 余計なノイズを無視できる
これは、“非繊細であることの圧倒的アドバンテージ”でもある。
一方、繊細さんは:
- 刺激に弱い
- 気を使う
- 深く考えすぎる
- 疲れやすい
- 人に合わせすぎる
→ どう考えても資本主義のレースに向いていない。
だからこそ、
「気質だから仕方ないよ」この言葉が “資本主義での負け認定” に聞こえてしまう。
ここが、核心部分だ。
「不利さ」の部分にある。
だが、そこにはほとんど触れられない。
繊細さんが本当に嫌なのは「努力しても限界がある現実」
“気質だから仕方ない” を裏返すと、
- 努力しても鈍感にはなれない
- 資本主義のルールは変わらない
- 心の強さは努力では補いにくい
つまり、
競争で勝つための能力値が、
最初から低く設定されている感じがしてしまう。
この「変わらなさ+不利さ」のセットが苦しい。
結論:“資本主義社会において勝ち組となりうる資質”という意味での救い”は存在しない
これが厳しい現実だ。あなたが繊細さんであるのならば。
(ただし、これを読んだうえであなたが本当は『繊細さん』でないことを自覚したのであればまた話は変わってくるかもしれないが・・・)
ただし、論点を変えてよいのであれば、いくつかの救い はある。
■ それでも「救い」と呼べるものはあるのか?
それを踏まえた上での現代資本主義社会における“救い”はこの3つだ。
① まじで仕方ない(本当にあなたのせいではない)
気質=脳の反応傾向。自分の責任ではない。これは本当にそうなんだろうなと思う。
自己否定は全く不要だと思う。
② 繊細さんなりに頑張ればいい
無理に強くなる必要も、鈍感になる必要もない。
「できる範囲でやる」という切り替えができるだけで、しんどさは減る。
経済的・社会的な優位さで争う必要性もないと思えるかどうか。
③ 勝てない土俵で戦う必要はない
正面勝負では不利でも、戦う土俵を変えれば強みになる分野は確実にある。
それを探す努力をするべき。
これが理解できているかどうかで、結構感想も変わるきがする。
救いが欲しい人は、是非。